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事務所概要
事務所名 | 廣澤公認会計士事務所 |
---|---|
所在地・連絡先 | 〒577-0841 大阪府東大阪市足代3-1-7 布施南ビル602A TEL: 0120-801-797 / 06-4307-6610 FAX: 06-7632-3095 |
営業時間 | 営業時間:【月~金】10:00~17:00 休業日: 土日祝 |
代表者 | 廣澤 哲人 |
専門家紹介
プロフィール
廣澤 哲人
愛知県一宮市出身
家族は、妻と2人の男の子
趣味は、毎朝30分のジョギング、年間百冊以上は読む
ビジネス系・自己啓発系の読書
保有資格
公認会計士 (日本公認会計士協会 近畿会所属 登録番号 17217)
税理士 (近畿税理士会 東大阪支部所属 登録番号 127823)
経営革新等支援機関 20140905近畿第3号及び近財金1第350号
キャッシュフローコーチ®
(一般社団法人日本キャッシュフローコーチ協会 登録番号 153)
家族は、妻と2人の男の子
趣味は、毎朝30分のジョギング、年間百冊以上は読む
ビジネス系・自己啓発系の読書
保有資格
公認会計士 (日本公認会計士協会 近畿会所属 登録番号 17217)
税理士 (近畿税理士会 東大阪支部所属 登録番号 127823)
経営革新等支援機関 20140905近畿第3号及び近財金1第350号
キャッシュフローコーチ®
(一般社団法人日本キャッシュフローコーチ協会 登録番号 153)
経歴紹介
愛知県の普通のサラリーマン家庭に生まれ育つも、なんとか大学に入学。
なんとなく過ごした大学生活も、このまま過ごしていては、再び「なんとなく」の人生を送ることになるという危機感から、大学3年生の終わりに公認会計士試験の受験を決意。大学4年生の春に簿記3級と簿記2級を取得し、資格の専門学校TACの公認会計士受験講座を受講。1年後の1度目の受験は箸にも棒にもかからぬ状況で不合格。このときに、あと2回の受験で合格しようと決意、1日12時間以上の猛勉強の末、2度目の受験の1991年に合格。これまでの「なんとなく」の人生から、『人間やる気になれば何でもできる』事に(やっと?)気付く。
1991年秋に外資系の監査法人に入所。
証券取引法(現 金融商品取引法)監査、米国会計基準(USGAAP)監査、商法(現会社法)監査、の他、当時制度化された連結会計にかかるコンサルティング、連結会計ソフトの日本語化とその販売、M&Aにかかる被買収対象企業調査(いわゆる財務DD)などに従事。
1999年6月に7年半勤めた監査法人を退社し、子供の頃に興味のあった建築デザインを学ぶため、英国 ロンドンのチェルシー カレッジ オブ アート アンド デザインにて1年間勉強。1年中絵を描き続ける。帰国後、建築デザイン事務所への就職を模索するも、薄給・長時間労働を目の当たりにし、建築デザイン事務所への就職を早々に断念。
2000年11月に外資系コンサルティング会社に入社。当初は、被買収対象企業の財務DDやM&Aのアドバイザリー業務を主に行っていたものの、自分の強みや、セールスポイントを見つけられぬまま、ここでも、再び「なんとなく」何でも屋となり、仕事は忙しくなるが人生は迷走。
その後、見るに見かねた事業再生コンサルティング・チームの上司に拾ってもらい事業再生の道に進む。事業再生チームでは在籍期間10年以上で、北は青森県から南は九州鹿児島県や沖縄県まで20数社の事業実態調査、事業再建計画策定、金融機関交渉、事業計画進捗フォロー等の事業再生支援を実施、その他、メガバンクから地銀まで金融機関の不良債権処理アドバイザーとして、金融機関目線での事業再生支援を個人・中小零細事業者を含む1,000件以上の事業実態調査及びそれら不良債権処理のアドバイスに携わる。事業再生支援を行っていく中で、様々な事情で支援が困難な案件もあり、結果的に事業再生支援に携わった先のうち、2社が破たんすることになったものの90%以上の支援先は事業が継続できることになり、『勇気を持って一歩を踏み出せば、すなわち、一見困難に見えても、熱意を持って努力すればできないことはない』という、事業再生の醍醐味を知る。
特に2009年から携わったこれら事業再生の事案の中で、中小企業経営者たちの話を聞くうちに、経営者の悩みというのは非常に深く、その悩みを相談できる相手がいないという現実に気付く。
中小企業経営者の悩み相談は、顧問税理士の仕事だと思っていたが、顧問税理士であっても所長先生と直接相談や対話ができているところは決して多いわけではなく、実態として中小企業経営者の顧問税理士に対する期待とは大きなギャップがある状況に直面した。
一方で、2011年3月11日の東日本大震災の後、本当にこのままサラリーマンを続けていて良いのかという思いが芽生える。この年7月に次男が生まれるも生後3週間の7月末に原因不明のけいれんが発生し緊急入院。1カ月以上を検査入院で過ごすも原因がわからぬまま退院。入院中も最初の2週間はけいれんが頻発して心配の中での退院であったが、その3週間後にも再びけいれんが発生し再度1ヵ月以上の入院に。その間も仕事で地方への出張で自宅を空けることも多く、家族には負担をかけたとの思いがあった。その後、この次男に障害が認められ、この次男と家族のためにできる事は全てしてあげたいと考え始める。
これら仕事での気づきと家族のことをきっかけに、自分の持っている公認会計士という資格と事業再生コンサルティングでの数々の成功事例や失敗事例を中小企業に生かすことができないかと考え、特に新しく事業を興す起業家に対する相談相手となるべく独立開業することを決意。
2013年6月で外資系コンサルティング会社を退職し、妻の生まれ故郷であり、かつ、私自身も3年以上事業再生の仕事で毎週出張で馴染みのあった大阪府大阪市へ転居し、大阪市北区に2013年6月廣澤公認会計士事務所開設。
その後、大阪市内の税理士事務所で法人・個人事業主合わせて年間五十件超の会計税務に関する相談、法人税、所得税、消費税等申告書の作成や事業計画策定支援コンサルティングに従事。
2014年8月に税理士登録と併せ、妻が幼少時代を過ごし、また、全国的にも中小企業の町として有名な大阪府東大阪市で、会社設立や開業前からの事業計画立案支援や事業計画実行支援、創業資金調達支援・記帳代行など起業当初での起業家の負担軽減を全力で支援するために、『起業家のビジョンとお金の話をつなげるビジョン実現のためのブレーン』として、ひろさわ会計事務所を開設。
また、2014年10月経営革新等支援機関に認定。
2015年11月に名称を廣澤公認会計士事務所に改め、『東大阪の起業家のブレーン』として現所在地に移転。
なんとなく過ごした大学生活も、このまま過ごしていては、再び「なんとなく」の人生を送ることになるという危機感から、大学3年生の終わりに公認会計士試験の受験を決意。大学4年生の春に簿記3級と簿記2級を取得し、資格の専門学校TACの公認会計士受験講座を受講。1年後の1度目の受験は箸にも棒にもかからぬ状況で不合格。このときに、あと2回の受験で合格しようと決意、1日12時間以上の猛勉強の末、2度目の受験の1991年に合格。これまでの「なんとなく」の人生から、『人間やる気になれば何でもできる』事に(やっと?)気付く。
1991年秋に外資系の監査法人に入所。
証券取引法(現 金融商品取引法)監査、米国会計基準(USGAAP)監査、商法(現会社法)監査、の他、当時制度化された連結会計にかかるコンサルティング、連結会計ソフトの日本語化とその販売、M&Aにかかる被買収対象企業調査(いわゆる財務DD)などに従事。
1999年6月に7年半勤めた監査法人を退社し、子供の頃に興味のあった建築デザインを学ぶため、英国 ロンドンのチェルシー カレッジ オブ アート アンド デザインにて1年間勉強。1年中絵を描き続ける。帰国後、建築デザイン事務所への就職を模索するも、薄給・長時間労働を目の当たりにし、建築デザイン事務所への就職を早々に断念。
2000年11月に外資系コンサルティング会社に入社。当初は、被買収対象企業の財務DDやM&Aのアドバイザリー業務を主に行っていたものの、自分の強みや、セールスポイントを見つけられぬまま、ここでも、再び「なんとなく」何でも屋となり、仕事は忙しくなるが人生は迷走。
その後、見るに見かねた事業再生コンサルティング・チームの上司に拾ってもらい事業再生の道に進む。事業再生チームでは在籍期間10年以上で、北は青森県から南は九州鹿児島県や沖縄県まで20数社の事業実態調査、事業再建計画策定、金融機関交渉、事業計画進捗フォロー等の事業再生支援を実施、その他、メガバンクから地銀まで金融機関の不良債権処理アドバイザーとして、金融機関目線での事業再生支援を個人・中小零細事業者を含む1,000件以上の事業実態調査及びそれら不良債権処理のアドバイスに携わる。事業再生支援を行っていく中で、様々な事情で支援が困難な案件もあり、結果的に事業再生支援に携わった先のうち、2社が破たんすることになったものの90%以上の支援先は事業が継続できることになり、『勇気を持って一歩を踏み出せば、すなわち、一見困難に見えても、熱意を持って努力すればできないことはない』という、事業再生の醍醐味を知る。
特に2009年から携わったこれら事業再生の事案の中で、中小企業経営者たちの話を聞くうちに、経営者の悩みというのは非常に深く、その悩みを相談できる相手がいないという現実に気付く。
中小企業経営者の悩み相談は、顧問税理士の仕事だと思っていたが、顧問税理士であっても所長先生と直接相談や対話ができているところは決して多いわけではなく、実態として中小企業経営者の顧問税理士に対する期待とは大きなギャップがある状況に直面した。
一方で、2011年3月11日の東日本大震災の後、本当にこのままサラリーマンを続けていて良いのかという思いが芽生える。この年7月に次男が生まれるも生後3週間の7月末に原因不明のけいれんが発生し緊急入院。1カ月以上を検査入院で過ごすも原因がわからぬまま退院。入院中も最初の2週間はけいれんが頻発して心配の中での退院であったが、その3週間後にも再びけいれんが発生し再度1ヵ月以上の入院に。その間も仕事で地方への出張で自宅を空けることも多く、家族には負担をかけたとの思いがあった。その後、この次男に障害が認められ、この次男と家族のためにできる事は全てしてあげたいと考え始める。
これら仕事での気づきと家族のことをきっかけに、自分の持っている公認会計士という資格と事業再生コンサルティングでの数々の成功事例や失敗事例を中小企業に生かすことができないかと考え、特に新しく事業を興す起業家に対する相談相手となるべく独立開業することを決意。
2013年6月で外資系コンサルティング会社を退職し、妻の生まれ故郷であり、かつ、私自身も3年以上事業再生の仕事で毎週出張で馴染みのあった大阪府大阪市へ転居し、大阪市北区に2013年6月廣澤公認会計士事務所開設。
その後、大阪市内の税理士事務所で法人・個人事業主合わせて年間五十件超の会計税務に関する相談、法人税、所得税、消費税等申告書の作成や事業計画策定支援コンサルティングに従事。
2014年8月に税理士登録と併せ、妻が幼少時代を過ごし、また、全国的にも中小企業の町として有名な大阪府東大阪市で、会社設立や開業前からの事業計画立案支援や事業計画実行支援、創業資金調達支援・記帳代行など起業当初での起業家の負担軽減を全力で支援するために、『起業家のビジョンとお金の話をつなげるビジョン実現のためのブレーン』として、ひろさわ会計事務所を開設。
また、2014年10月経営革新等支援機関に認定。
2015年11月に名称を廣澤公認会計士事務所に改め、『東大阪の起業家のブレーン』として現所在地に移転。